憲法改正
『改定第三版 センター試験倫理、政治・経済の点数が面白いほどとれる本』の表紙を飾っているイケメン二人が、ラファエロの『アテネの学堂』に登場するプラトンとアリストテレスであることは、誰もがお気づきですね。プラトンは、理想はこの世界を超えたところにあると天上を指さし、アリストテレスはこの世界を思考の出発点にするべきだと地上を指さしています。
このプラトンとアリストテレスの議論は永遠のテーマです。そしてまさに、今、日本で進んでいる憲法第9条改正の議論の構図といえます。だからこそ憲法論議は常に平行線なのです。
日本は第二次世界大戦で多くの国民の命を失い、国富を失いました。そして他国の人々もたくさん殺しました。日本だけでなくヨーロッパも焦土と化し、世界全体が強い厭戦感に包まれる中、日本国憲法は誕生しました。「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」という素晴らしい理想をうたった憲法9条の条文は、当時の多くの国民に歓迎されました。
それから70年…。
北朝鮮は違法な核兵器の開発をどんどん進めています。第一のターゲットは韓国と日本です。拉致被害者も戻ってきません。中国の船は日本の領海とされているところに勝手にずかずか入ってきます。日本が平和というすばらしい理想を追求していたら誰も手出ししないと憲法制定時の国民は思ったのに、じっさいは理想を追求すればするほど日本はやりたいほうだいにされてしまっています。
現実主義者のアリストテレスなら、「この現実を前提に、憲法9条を改正し、自衛隊を国軍と明記するべきだ。」と言うでしょう。理想主義者プラトンは「実現可能性にこだわらず理想を追求すべきだ。」と言うでしょう。
どちらが正しいのでしょう。
どちらも正しいのです。だからこそ平行線なのです。
これまで日本はアメリカの強大な戦力に守られながら憲法9条の理想を掲げ、平和の幻想にひたっていました。ぼちぼち現実に目をむけなくてはなりません。ただし、理想を忘れてはなりません。理想を失うと進歩がなくなります。憲法第9条の理想は忘れないように、そして憲法9条が本当に実現するように、いつか元の憲法第9条に戻れることを前提に憲法を改正すべきだと思います。理想を忘れないことを前提に、国民の命や財産を守る戦力を堂々と持つべきであると、私は思います。